
日本の美と信仰との
結節点である中尊寺金色堂
国宝・中尊寺金色堂は、天治元年(1124)藤原清衡(きよひら)(1056~1128)によって建立された東北地方現存最古の建造物です。建物の内外を金色に飾り、螺鈿蒔絵(らでんまきえ)の漆工技法を駆使した装飾が施された絢爛豪華(けんらんごうか)な姿は、まさにこの世の極楽浄土です。奥州藤原氏の栄華を伝える一方で、金色堂は彼らが今なお眠る聖地でもあります。このように日本の美と信仰との結節点である金色堂は、世界遺産に登録される平泉の文化遺産のシンボルとして、世界中から注目を集めています。

中尊寺金色堂外観

中尊寺風景・夏(金色堂覆堂)
本展のみどころ

初めて中央壇上の
国宝仏像11体がそろって展示
金色堂内には3つの須弥壇が設けられており、それぞれの内部に置かれた棺にいまも遺体が納められています。なかでも、中央壇内部の棺に眠っているとされるのは、奥州藤原氏初代にして金色堂を建立した藤原清衡です。本展では、この最も重要ともいえる中央壇に安置される国宝の仏像11体すべてを展示します。中央壇の仏像がそろって寺外で公開されるのは初めてのことです。あわせて、かつて金色堂内を荘厳していた工芸品の数々をご紹介します。


超高精細な8KCGで実物大の金色堂を
大型ディスプレイ上に再現
超高精細8KCGにより、金色堂と堂内空間を幅約7mの大型ディスプレイ上に原寸大で再現します。上野に金色堂がやってくるといっても過言ではありません。900年間祈りがささげられてきた黄金に輝く空間を、迫力ある美しい映像で体験できる大変貴重な機会です。

8KCGで再現した中尊寺金色堂 ⒸNHK

金色堂は西を背に東を向いて建っています。堂内には中央、西北隅、西南隅の3箇所に須弥壇が設けられ、それぞれの内部に奥州藤原氏四代が今も眠ります。このうち最も重要な中央壇には藤原清衡が眠ると考えられています。本展は、この中央壇の壇上に安置される11体の国宝仏像をすべてご紹介します。
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国宝勢至菩薩立像
平安時代・12世紀 岩手・中尊寺金色院蔵
国宝阿弥陀如来坐像
平安時代・12世紀 岩手・中尊寺金色院蔵
国宝観音菩薩立像
平安時代・12世紀 岩手・中尊寺金色院蔵
腹前で定印(じょういん)を結ぶ阿弥陀如来坐像を中心に前方左右に観音菩薩立像と勢至菩薩立像が並ぶ全身皆金色(かいこんじき)の三尊です。ふっくらとした頬を持つ、穏やかで優美な表現が特徴です。金色堂内の3つの須弥壇上の諸仏像は長い歴史の中で入れ替わっていると考えられますが、この三尊像は当初より中央壇に安置されていた可能性が高いとされます。清衡が創建した時の像であるならば、当時の京の一流仏師による像と遜色のない仏像が奥州に伝えられていることになります。奥州藤原氏によって築かれた平泉の文化水準の高さをうかがい知る貴重な作例です。
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国宝地蔵菩薩立像
平安時代・12世紀 岩手・中尊寺金色院蔵
国宝地蔵菩薩立像
平安時代・12世紀 岩手・中尊寺金色院蔵
阿弥陀三尊の両脇に3体ずつ安置される6体の地蔵菩薩立像です。阿弥陀三尊と六地蔵のセットは、六道輪廻(ろくどうりんね)からの救済を願う当時の往生思想を体現したものと考えられます。頬がやや引き締まっていることから、阿弥陀三尊像よりも後の時代につくられたようで、造像当初に置かれていた壇から移動している可能性があります。本展では現在中央壇に安置されている状況と同じように展示します。
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国宝増長天立像
平安時代・12世紀 岩手・中尊寺金色院蔵
国宝持国天立像
平安時代・12世紀 岩手・中尊寺金色院蔵
大きく腰をひねって手を振り上げる躍動感にあふれた持国天・増長天の二天像です。引き締まった面貌(めんぼう)と大きく翻(ひるがえ)る袖の表現が見どころです。こうした激しい動きの表現は、のちに慶派(けいは)仏師が得意とする鎌倉様式を先取りしたような先駆的感覚が奥州の仏像にみられることを示しています。
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国宝金銅迦陵頻伽文華鬘
平安時代・12世紀 岩手・中尊寺金色院蔵
華鬘は花輪をかたどり、堂内を荘厳するものです。極楽浄土に住むという人頭鳥身(じんとうちょうしん)の迦陵頻伽(かりょうびんが)をあらわし、極楽浄土に咲くという宝相華唐草(ほうそうげからくさ)を透かし彫りにした華麗な作で、元来金色堂の柱の上部を横にわたる長押(なげし)に懸けられていました。この華鬘をはじめとする金色堂の堂内具は平安時代の堂内荘厳のさまをほぼそのまま伝えるきわめて貴重な作例です。
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国宝紺紙金銀字一切経(中尊寺経)
平安時代・12世紀 岩手・中尊寺金色院蔵
金泥字(きんでいじ)と銀泥字(ぎんでいじ)で一行おきに書写し、見返しにも金銀泥を用いて経意(けいい)を絵画で表現する唯一無二の一切経で、中尊寺経の名で知られます。料紙(りょうし)は京で調達したことが確実視され、見返し絵も当時一流の絵師が担当したと考えられます。藤原清衡が8年の歳月をかけて制作させた入念の一切経です。かつては金色堂手前の経蔵(きょうぞう)に安置されていました。
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カピトリーノ美術館は実は日本とゆかりの深い美術館です。ちょうど150年前にあたる1873年、明治政府が欧米に派遣した岩倉使節団がカピトリーノ美術館を訪れました。欧米の本格的な博物館を視察した彼らの経験は、日本の博物館政策や美術教育にも影響を与えることになります。1876年に日本最初の美術教育機関として工部美術学校が設置され、国外から指導者たちが招聘されると、イタリア各地の施設が所有していた古代彫刻にもとづく石膏像が指導教材として日本に持ち込まれました。そのなかにはカピトリーノ美術館の石膏像も含まれていました。特集展示では、カピトリーノ美術館と日本の交流を、版画やパネル、石膏像を通じて紹介します。
松岡壽《工部美術学校画学教場》
1877-78年頃 鉛筆、紙 個人蔵小栗令裕《欧州婦人アリアンヌ半身》
1879年 石膏 東京大学大学院工学系研究科建築学専攻蔵《ディオニュソスの頭部》
ハドリアヌス帝時代後半 大理石 カピトリーノ美術館蔵©Roma, Sovrintendenza Capitolina ai Beni Culturali / Archivio Fotografico dei Musei Capitolini
8KCGで再現、原寸大の金色堂

※イメージ 8KCG映像パースイメージ ©NHK
金色堂と壇上の仏像をはじめとする堂内空間の8K画像データを活用した超高精細CG(8KCG)により、幅約7m×高さ約4mの大型ディスプレイ上に原寸大の金色堂を再現します。8KCGはNHKと東京国立博物館が共同で開発した超高精細なデジタルアーカイブの手法で、まるで実物を写し取るかのように文化財を記録します。金色堂は、現地ではガラスの外から拝観するしかありませんが、本展では8KCGを使って仮想的に堂内へとご案内し、きらびやかなこの世の浄土を間近にご覧いただきます。900年間祈りがささげられてきた黄金の聖空間を体感できる、この迫力と美しさは他では得られない圧倒的な体験となることでしょう。